先日、ある記事を読んだ。
ジュニアの強豪クラブで、小学1年生がトラップをミスした子に「へたくそ」「なんでそんなこともできないの」と言い放つ光景が描かれていた。
小学1年生だ。
6歳や7歳の子どもが、もう「サッカーがうまい=えらい」という序列を学んでいる。
読んで胸くそが悪くなった。
でも同時に、目をそらせない感情が湧いてきた。
俺も、かつてその序列の頂点にいたからだ。
高校時代、俺はヒエラルキーの頂点にいた

恥ずかしい話をする。
俺は高校時代、チームのヒエラルキーの最上位にいた。
地方大会ベスト8〜4に入るくらいの、ちょうどいいレベルの高校だ。
全国常連でもなく、弱くもない。
その中で、俺は誰よりも点を取っていた。
だからそこで殿様になれた。
気に食わない選手がいたら、ベンチから監督に「変えてくれ」と懇願した。
そして変えてもらっていた。
ありえない。でも事実だ。
今思うと、未熟すぎた。
あの頃の俺は「サッカーがうまい=えらい」を無意識にやっていた。
点を取れる俺が一番偉くて、ミスをする奴は使えない。そう思っていた。
その愚かさに気づいたのは、大学に入ってからだ。
大学には全国から選手が集まる。自分より上手い奴がゴロゴロいる。高校で殿様だった俺は、一気にただの一選手になった。
あの時初めて、高校で自分がやっていたことの醜さがわかった。
プロの世界でも「うまい=えらい」は平気で起きている

高校だけの話じゃない。
プロの世界でも、この序列は平気で存在する。
俺はJ1を経験したことがないから、トップレベルのことはわからない。
でもこれだけは言える。
カテゴリーが落ちるほど、このヒエラルキーはひどくなる。
J3で俺がいたチームでは、こんな光景が普通にあった。
先輩選手が、試合に出ていない新人を夜の足として連れ回す。
荷物を持たせる。それが当たり前のように行われていた。
態度にも出る。
うまい選手にはニコニコ。
監督・オーナーには気持ち悪いくらい媚びを売る。
試合に出ない選手には雑な態度。
「あいつは下手だから雑に扱っても大丈夫」。
そういう空気が、チームの中に確実にあった。
心理学に「ハロー効果」という考え方がある。
ひとつの目立つ特徴に引っ張られて、その人の全体を評価してしまう認知の偏りだ。
サッカーがうまい。この一点だけで、その選手の人間性まで「すごい」と思い込んでしまう。逆にサッカーが下手なだけで、人として雑に扱っていい存在だと無意識に判断してしまう。
サッカーがうまい=えらい。この歪んだフィルターの正体は、ハロー効果だ。
テイカー気質の選手がJ1に上がっていく現実

正直に言う。
そういうヒエラルキーの中で、成り上がった選手もいる。
テイカー気質のある選手が、J1に個人昇格していく光景も見てきた。
でも結局、一流と呼ばれる選手にはなっていない。
むしろ、なってほしくないとすら思っている。
日本代表に選ばれるような選手に、そういう人間は少ないのか。
正直、わからない。俺にはそのレベルの経験がない。
でもこれだけは確信している。
人を踏み台にして上がっていく人間は、どこかで限界が来る。
みんな自分が一番かわいい。これは俺がプロ生活で学んだ真実だ。
でも「自分がかわいい」ことと「人を雑に扱っていい」ことは全く違う。
ブラジル人選手は違った

ひとつ、びっくりした経験がある。
ブラジル人選手と一緒にプレーした時のことだ。
彼らには「サッカーがうまいから偉い」という感じがまったくなかった。
常に陽気で、誰にでも平等だ。
試合に出ている選手にも、出ていない選手にも、同じ態度で接する。
サッカーをしているみんながファミリーでありアミーゴ。
そんなオーラがプンプンしていた。
日本だけなのか、この序列は。
正直、俺は海外でプレーしたことがないからわからない。
でもブラジル人選手たちを見て、
「サッカーの本場ではこうなんだ」と感じた。
サッカーは楽しむものだ。序列をつけるためにやるスポーツじゃない。
彼らはそれを体現していた。
育成年代のヒエラルキーは、大人が作っている

今、俺はサッカー指導者をしている。
そこで気づいたことがある。
育成年代でも、ヒエラルキーは確実に存在する。
チームのエースと呼ばれる子が、パスミスをした子に暴言を吐く。
「くそ」
「下手くそ」
そしてそれを見た指導者が、「要求し合っている」と勘違いしている。
要求し合うってそういうことじゃない。
本当の要求し合いは、
「くそ」「ばか」なんて言葉が出てこない。
「もっとこうしてほしい」
「でも俺はこのボールをイメージしてた」
こういう具体的な言葉が飛ぶ。この違いがでかい。
暴言は要求じゃない。ただの序列の確認だ。
「俺の方がうまい。お前はミスするな」というメッセージでしかない。
Googleが「プロジェクト・アリストテレス」という大規模な社内調査を行った。
成果を出すチームに共通する最も重要な要素は何か。答えは「心理的安全性」だった。
ミスをしても責められない。
自分の意見を言っても否定されない。
この安心感があるチームが、最もパフォーマンスが高い。
これはサッカーのチームでもまったく同じだ。
エースがミスした子を怒鳴るチームと、「大丈夫、次こうしよう」と声をかけるチーム。
どっちの子どもがサッカーを好きでい続けるか。どっちのチームが伸びるか。
答えは明らかだ。
「うまい=えらい」を作っているのは指導者だ

子どもは大人をよく見ている。
指導者がうまい子を特別扱いすれば、子どもたちはそれを正確に読み取る。
「サッカーがうまい=偉い」
「できる子=価値がある」
このフィルターを子どもの頭にインストールしているのは、指導者自身だ。
うまい子のミスはスルーして、下手な子のミスは厳しく指摘する。
無意識にやっている指導者は多い。
でもその「無意識」が、子どもの情熱を殺している。
サッカーが好きで始めた子が、「お前は下手だ」というメッセージを毎回受け取り続けたらどうなるか。
サッカーが嫌いになる。
好きだったものが嫌いになる。
これほど残酷なことはない。
俺が指導者として変えたいこと

俺は高校時代、ヒエラルキーの頂点で殿様をしていた人間だ。
大学でその愚かさに気づき、プロの世界でもこの歪んだ構造を見てきた。
ブラジル人選手の「全員がアミーゴ」という姿勢に衝撃を受けた。
全部、自分の経験だ。
だからこそ、今の俺には確信がある。
サッカーは自由だ。
自由のスポーツに、誰が偉いなんてない。
俺は今、指導者という立場から、育成年代の子どもたちの思考を変えていきたいと本気で思っている。
具体的にやっていることがある。
うまい子もそうでない子も、同じ目線で接する。
ミスを怒鳴らない。「くそ」「ばか」が出たら、その場で止める。
「もっとこうしてほしい」
「俺はこういうボールをイメージしてた」
この言い方を教える。これが本当の「要求し合う」だと伝える。
指導者が教えないと、選手の成長は頭打ちになる。
技術だけじゃない。
人との関わり方も、コミュニケーションも、
ピッチ上で起こりえることは全部指導者が教えるべきことだ。
最後に

30年後、あの試合で勝ったか負けたかなんて覚えていない。
でも「あの時、あいつにひどいことを言われた」
「あのコーチに認めてもらえなかった」という記憶は、ずっと残る。
俺は高校時代の自分を恥じている。
あの頃の俺に、ベンチから選手交代を要求する権利なんてなかった。
点を取れることと、人を雑に扱っていいことは、まったくの別物だ。
サッカーがうまい=えらい。
この気持ち悪い序列を、俺は指導者として真っ向から壊していく。
サッカーは自由だ。
誰が偉いなんてない。
ブラジル人選手が教えてくれた、あの空気を子どもたちに伝えていく。
それが、かつてヒエラルキーの頂点で殿様をしていた俺にできる、唯一の償いだと思っている。

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