プロサッカー選手を辞めて、
最初にフルタイムで働いた会社で、衝撃を受けたことがある。
人材派遣の営業だった。初年度に社員約300人の中で新人賞を取った。
正直、簡単だった。サッカーで培った体力と行動力で、とにかく動いた。
動いた分だけ受注が取れた。
でも、給料は変わらなかった。
サッカー選手の世界では、点を取れば年俸交渉の武器になる。
試合で結果を出せば、翌年の契約に直結する。
パフォーマンスと報酬がシンプルにつながっていた。
厳しいけど、筋が通っていた。
営業は違った。受注を何件取ろうが、月末に振り込まれる金額は同じだった。
「これ、おかしくないか?」
あの違和感が、今の俺の原点になっている。
雇われることが「空気」だった

振り返ると、周りには雇われている大人しかいなかった。
親も、親戚も、学校の先生も、近所のおじさんも。
みんな朝になったら家を出て、どこかに出勤して、月末に給料をもらっていた。
だから「働く=雇われる」が当たり前だった。
疑ったことがない、というより、疑いようがなかった。
それ以外の選択肢を、一度も見ていないからだ。
振り返るとサッカー選手だった頃も、実はそうだった。
プロ契約は「雇われ」とは違うように見えるが、監督やオーナーの顔色をうかがう構造は同じだった。
心理学に「現状維持バイアス」という考え方がある。
人は今の状態を変えることに対して、合理的な理由がなくても抵抗を感じる。
変化で得られるものより、失うものの方が大きく見えてしまう認知の偏りだ。
「雇われて働く」が当たり前に見えるのも、これだと思う。
みんながそうしているから正しいのではなく、
それ以外を選ぶのが怖いから、疑うこと自体を避けていたのかもしれない。
気づけなかったことを恥じるつもりはない。
でも、空気だと思っていたものが、
実は誰かが決めた1つのやり方でしかなかったと知った。
そこから、次が始まった。
会社が買っているのは「時間」であって「成果」じゃない

人材派遣の営業時代、もう1つ気づいたことがある。
俺は取引先の悩みをひたすら聞いて、限られた人材を本当に必要としてくれる場所にマッチングするやり方を覚えた。
信頼関係が生まれて、安い単価で数をこなす営業から、適正単価で質の高い契約ができるようになった。
売上は明らかに上がった。
でも、給料はほとんど変わらない。
それどころか、俺が築いた信頼で人材を紹介しても、
その人材への報酬を上げる権限は俺にはなかった。
自分が価値を生み出しても、その分配を自分で決められない。
あくまで俺は会社の歯車にすぎなかった。
日本の職場の多くは、1日8時間そこにいることが前提だ。
法定労働時間も、1日8時間・週40時間。
効率を上げようが、能力が高かろうが、その「8」という数字は動かない。
空いた2時間には、別の仕事が降ってくるだけだ。
その枠に何をどれだけ詰めたかは、値段に反映されない。
サッカー選手の世界はシンプルだった。
年俸120万円からスタートして、結果を出せば上がる。
出なければ切られる。残酷だけど、フェアだった。
会社員の世界は違う。安定の代わりに裁量がない。
リスクを取っていないから、給料も自由も動かない。
半数近くが「静かに降りている」のは、計算が合っているからだ
「静かな退職」という言葉がある。
やりがいも昇進も求めず、決められた仕事を淡々とこなす働き方のことだ。
マイナビの調査(2026年発表)によると、静かな退職をしていると答えた正社員は46.7%。前年より2.2ポイント増えている。20代に限れば50.5%。すでに半分を超えた。しかも全体の73.7%が、今後も続けたいと答えている。
これを「若者の甘え」と切り捨てる人がいる。
俺は違うと思う。
行動経済学に「期待理論」という考え方がある。
人は「努力→成果→報酬」のつながりが見えた時にモチベーションが湧く。
でも、どこかが切れていると意欲を失う。
8時間働いて、効率を上げても、報酬が変わらない。
年功序列でゆっくりとしか動かない。
それなら、全力を出す合理性がない。
意欲が削がれたんじゃない。計算してみたら、だれでもそうなる。
元チームメイトたちも、引退後にサラリーマンになって同じ壁にぶつかっている。
好きなことをして、結果が収入に直結していた世界から、毎日同じ時間に出勤して、頑張っても給料が変わらない世界へ。
そのギャップに精神的に参ってしまう奴が少なくない。
責められるべきなのは、「頑張らない方が得」という計算が正解になってしまう構造のほうだ。
ただ、力を抜いても8時間は8時間だ

だが、静かな退職で止まると、景色は変わらない。
静かな退職は、8時間の中でどう振る舞うかという話だ。
8時間そのものには、指1本触れていない。
力を抜こうが全力を出そうが、自分の時間を売っている事実はそのまま残る。
俺は引退後、人材派遣の営業をやり、
Webマーケティングの会社に行き、設備施工管理の会社に転職した。
3つの会社を経験して確信したのは、
会社の中で全力を出しても、自分の人生の設計は変わらないということだ。
ミスが起きると上は守ってくれず、下に責任を押しつける。
でも給料は同じ。
仕事ができるようになると、ただ仕事を大量に振られる。
でも給料は同じ。
だからこそ、8時間の外に出るしかない。
自分の努力が、そのまま自分に返ってくる場所を持つということだ。
会社の看板ではなく、自分の名前で立てるものを1つ持つ。
最初の挑戦は、見事に失敗した

偉そうなことを書いたが、俺自身失敗しかしていない。
せどり・youtube。
全くお金にならないまま諦めた。
原因ははっきりしている。続けられなかった。
ただただ辛かった。
でも、1つだけ持ち帰ったものがある。
ビジネスと、自分がやりたいことは、分けなければならない。
やりたいことを全部詰め込んだ場所は、結局、誰のための場所でもなくなる。
自分が楽しいかどうかと、人に必要とされるかどうかは、別の話だ。
今のブログは、この失敗があったから成り立っている。
サッカーという軸をブラさない。
保護者が本当に知りたい情報を届ける。
その上で、人生論として自分の思いも書く。
軸とやりたいことの使い分けを、失敗から学んだ。
SNSの「年商何億」に振り回されるな

外に出ろと書いたので、その先にある罠も書いておく。
SNSを開くと、事業をやっている人がやたら輝いて見える。
年商何十億。年商6億。
でかい数字の横に、高級車と海外旅行の写真。
年商は、手元に入る金じゃない。
売上の合計だ。そこから仕入れも人件費も家賃も税金も出ていく。
年商6億で、手元に残るのが数百万なんてことは普通にある。
しかも、あの数字は盛られている可能性がある。
俺はWebマーケティングの会社で、人の心理を操る広告の設計を見てきた。
「買う側の心理に乗り込め」が合言葉の世界だった。
便秘改善のサプリを、便秘そうなお腹をした社員が売っている。痩身サプリを、デスクにコーラとグミを並べた人間が売っている。
SNSで年商を並べる人たちも、構造は同じだ。
数字を大きく見せること自体が、次の商売になっている。
あなたの可能性を広げたいんじゃない。
あなたに何かを買わせたい。それが裏にある動機だ。
俺自身、投資詐欺で300万円失った経験がある。
「年利20〜30%」「10年の実績」と言われて信じた。
冷静に考えればおかしかった。でも、大きな数字に目が眩んだ。
だから言える。あれを見て「自分にもできる」と思う必要はない。
同時に、「自分には無理だ」と思う必要もない。
どちらも、他人の数字に自分の判断を預けている点では同じだ。
見るべき数字は、自分の手元にいくら残るか。他人の年商は、そこに1円も関係しない。
当たり前を疑え

20年以上サッカーをやって、10年間プロとして戦った。
引退後、営業で新人賞を取っても給料は変わらず、Webマーケティングの裏側に幻滅して辞め、投資詐欺で300万円を失い、設備施工管理の職人になり、ブログを書き、子どもたちにサッカーを教えている。
遠回りだらけだ。でも、全部やってみたから言えることがある。
「当たり前」は、当たり前じゃない。
8時間は動かない。効率を上げても給料は変わらない。
でもそれは、あなたの能力の問題じゃない。
制度がそういう設計になっているだけだ。
だから、8時間の外に出ろ。
自分の名前で立てるものを、小さくていいから1つ持て。
そう強く断言できる。
最初は失敗する。
でも、失敗から持ち帰れるものは必ずある。
他人の年商に振り回されるな。
見るべき数字は、自分の手元にいくら残るか。それだけだ。
疑え。数えろ。自分で決めろ。
動くと自分軸ができあがってくる。
あなたの参考になればうれしい。
Just do it

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