30代前半から中盤にさしかかった。
最近、同世代の人間と会うと、
「落ち着いてるね」
「なんか大人っぽいね」
と言われることが増えた。
もっとストレートに言えば、「老けてるね」だ。
見た目もあるかもしれない。
でも一番言われるのは、話している時だ。
話し方、考え方、物事への反応
——そういう部分が同世代の感覚とズレているらしい。
精神的に老けて見えると。
最初は少し気にしていた。でも、いまはそれを財産だと感じている。
俺はサッカーをやっていたことで、同世代の人間が30代後半や40代で初めて経験することを、20代のうちに全部経験してきた。
クビを宣告される恐怖。
明日の生活をどうするかという不安。
自分の価値を突きつけられる残酷さ。
正解のない判断を、自分一人で下す孤独。
これを20代から毎年のように味わってきた人間が、同世代と同じテンションでいられるわけがない。
サッカー選手の「契約満了」という名のクビ

わかりやすく言うと、クビだ。
サッカー界では「契約満了」という綺麗な言い方をされる。
でも本質はクビだ。
「あなたはもう必要ありません」と言われること。
しかもそれは、だいたいシーズン終了の1ヶ月前に伝えられる。
伝えられた瞬間から、人生は二択になる。
現役を続けるか、引退するか。
現役を続けたくても、獲ってくれるチームがなければそこで終わりだ。
自分がどれだけ「まだやれる」と思っていても、チームが「いらない」と言えば終わり。
家族がいる選手は、本当に心身ともに疲弊する。
来年の収入がゼロになるかもしれない。
子どもの学費はどうする。
家賃は払えるのか。
そして必然的に、自分自身と向き合わなきゃいけなくなる。
もしオファーがどこからも来なかったら、何の仕事をすればいいのか?
サッカーしかしてこなかった自分に、何ができるのか?
俺は現役中、常にこの考えが頭の片隅にあった。
社会人は「クビ」を経験しない

一般的な社会人で、会社から「もういらない」と言われる経験をする人は少ないと思う。
自分から辞めるパターンはある。
転職する、独立する、合わないから去る。
でもそれは自分の意思だ。
「お前はもう必要ない」と、面と向かって言われる経験は、普通の社会人生活ではほとんどない。
サッカー選手は毎年それがある。
しかも自分では「今年はよくやった」と思っていても、チームの評価は違うことがある。
このギャップが精神を鍛える。
自分の評価と他人の評価は違う。
その事実を、20代のうちに何度も突きつけられる。
嫌でも精神が成熟する。
成熟せざるを得ない環境に放り込まれる。
だから話していると「落ち着いてるね」と言われるのだろう。
落ち着いているんじゃない。
こういう経験を何度も乗り越えてきたから、
大抵のことでは動揺しなくなっただけだ。
プロ1年目から「新人」は通用しない

社会人1年目は、仕事を覚える時期だ。
先輩が教えてくれる。
ミスしても「新人だからしかたない」と言ってもらえる。
1年かけてゆっくり成長すればいい。
プロサッカー選手は違う。
1年目だろうが関係ない。
結果を出せなければクビになる。
契約が残っていても、レンタルという名の片道切符を渡されるケースも多い。
「よそで揉まれてこい」と言えば聞こえはいいが、要は戦力外だ。
新人だからしかたない、という考えがそもそも存在しない世界だ。
だから常に自分と向き合う。
今日の練習で何ができて、何ができなかったか。
監督は何を求めていて、自分は何を提供できのか。
このPDCAサイクルを、俺は10年以上回し続けてきた。
この10年間の積み重ねが、話し方に出る。
物事を考える深さに出る。
何かを聞かれた時の反応の速さに出る。
同世代の人間が「どうしよう」と迷っている場面で、俺はもう答えが見えていることがある。
それは頭がいいからじゃない。
似たような状況を、何度も何度も経験してきたからだ。
そして、悩むことほど無意味なことを知っている。
それが「落ち着いて見える」の正体だと思う。
同世代との会話がズレる理由

こういう経験を積んできた結果、
同世代の人間と話していると「なんか違う」と感じることが増えた。
向こうも感じているだろうし、俺自身も感じている。
仕事の愚痴を言う知人には、つい「辞めたら?」と言ってしまう。
俺からすれば、辞める自由があるのに辞めない理由がわからない。
サッカー選手は辞めたくなくても辞めさせられる世界だ。
自分の意思で辞められるなら、それは恵まれているとすら思う。
これは説教がしたいわけじゃない。
俺が本当にそう思っているだけだ。
責任から逃げている時間が一番つまらない。
責任を引き受けて、自分の力で何とかしようとしている時が一番生きている実感がある。
こういうことをサラッと言ってしまうから、
「落ち着いてる」「老けてる」と言われるんだと思う。
でもこれは性格の問題じゃない。経験値の問題だ。
サッカーの生きるか死ぬかの中で、
世の中に正解がないことを身をもって知った。
正解がないからこそ、自分の頭で考えるしかない。
その覚悟が、話し方に表れているだけだ。
チャンスは常に嫌な形で降ってくる

もう一つ、サッカーが教えてくれたことがある。
チャンスは、いつも嫌な形で目の前に現れる。
「これはチャンスだ!」とわかりやすく降ってくることなんて、ほとんどない。
大抵は面倒くさいこと、
嫌なこと、やりたくないことの顔をしてやってくる。
それを「嫌だからやらない」と判断した瞬間、
チャンスの女神の前髪は一瞬で通り過ぎる。
俺の経験で言えば、プロになるきっかけがまさにそうだった。
大学4年で監督が交代して、スタメンから外された。
3年の時はほぼ毎試合出ていたのに、4年ではほとんど途中出場。
スカウトの目に留まるはずもない。
普通なら腐る。
「監督が変わらなければ俺はプロになれたのに」と誰かのせいにして終わる。
大学の監督は自分が使っていない選手を、Jクラブには話をしてくれなかった。
自分の面子もある。本当に信頼できる選手を送りたい。
やっぱり、どんな人でも面子を守りたい。のだろう。
でも俺はそこで、自分からJクラブに練習参加を申し込む「営業」をした。
自分でツテを頼って、3つのクラブに知り合いの指導者に頭を下げてお願いした。
これは本当に嫌だった。
プライドもあった。
「なんで俺が自分から頭を下げなきゃいけないんだ」と思った。惨めだった。
でもこれがチャンスだった。
嫌な形をしていたから、ほとんどの選手はやらない。
スカウトが来るのを待つ。
来なければ「縁がなかった」と諦める。
俺は嫌なことに手を伸ばした。
結果、12月末にギリギリで内定が決まった。
もしあの時、「自分から営業するなんてカッコ悪い」と思って動かなかったら、俺のサッカー人生は大学で終わっていた。
その後の10年間のプロ生活も、そこで得た全ての経験も、何一つなかった。
営業の仕事でもそうだった。
人材派遣の営業をしていた時、誰もやりたがらない飛び込み営業を泥臭くやった。
断られるのは嫌だ。
門前払いされるのは惨めだ。
でもその中から信頼関係が生まれて、受注につながった。
嫌なことの中にしか、本当のチャンスは隠れていない。
楽な道、気持ちいい道、みんながやっている道
——そこにチャンスがあるわけがない。
みんなが避ける道だから、そこに宝がある。
「老けて見える」は、勲章だと思うことにした

同世代より老けて見える。
見た目も、話し方も、考え方も。
それは事実だと思う。
20代でクビを経験し、毎年生き残りをかけて戦い、自分の価値を毎日突きつけられ、嫌なことに手を伸ばし続けてきた。
その結果、同世代よりも早く精神が成熟した。
物事への反応が変わった。
話し方が変わった。
会話のズレも生まれた。
でも俺は、それを悪いことだとは思わない。
「落ち着いてるね」と言われるのは、俺がそれだけの経験を積んできた証拠だ。
サッカーが俺に与えてくれたものは、技術や体力だけじゃない。
人生のスピードを加速させてくれた。
普通なら40歳で気づくことを、30歳で気づけた。
普通なら50歳で腹をくくることを、25歳で覚悟した。
その分、精神的に年齢を超える。
見た目にも出る。当たり前だ。
だから俺は、老けて見えることを勲章だと思うことにした。
最後に

もしこの記事を読んでいる人の中に、
「自分は周りと感覚がズレている」と感じている人がいたら、一つだけ伝えたい。
ズレているのは、あなたがそれだけ多くの経験を積んできたからだ。
人と違うことを恥じる必要はない。
むしろ、そのズレこそがあなたの武器になる。
そして、目の前に嫌なことが現れた時、それはチャンスかもしれない。
嫌だからやらない、は簡単だ。
でもその一瞬の判断で、人生が変わることがある。
俺はサッカーでそれを学んだ。
チャンスの女神には前髪しかない。
通り過ぎてから掴もうとしても、もう遅い。
嫌な顔をしたチャンスが目の前に来たら、とりあえず全力で掴んでみる。
その経験が、あなたの話し方を変え、考え方を変え、顔つきを変えていく。
Just do it


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