今シーズン圧倒的な活躍をみせたレオセアラ選手。
王者・鹿島アントラーズの優勝を決める大一番でも
2得点と決定的な活躍を見せてくれました。
しかし、多くのファンは知らない過去があります。
実はレオセアラ選手は
9年前(2016年)、J3のFC琉球でプレーしています。
当時の登録名は、レオナルド
23試合2得点と今の活躍からは想像できない結果で
1年で退団しています。
何で活躍できなかったの?
自分から退団したの?
そのような疑問を持っている方も多くいると思います。
結論から言うと
本来の力を発揮できず1年での契約満了になっています。
コンディション不良とチーム環境が原因だと推測できます。
この記事を読むことで
・レオ・セアラ選手の過去
・当時の推定年俸
・なぜ1年で退団したのか
・結果を出せなかった要因
について理解することができます。
それでは考察していきます。
なぜ、あのレオ・セアラが“1年で契約満了”になったのか?

なぜ1年で退団したの?
そう思った方も多いと思います。
今の圧倒的パフォーマンスからは想像できません。
理由は2つあります。
・サポート体制
・若き日のレオセアラ選手の生活環境
の壁がありました。
それでは深掘りしていきます。
当時のレオ・セアラ推定年俸
当時のレオ・セアラ選手はまだ21歳。
推定年俸は 400万円前後だと推測できます。

破格の安さですが、当時の琉球を考察すると妥当な金額ではないでしょうか。
当時すでに結婚していたレオ・セアラ選手は
家族をブラジルに残し単身日本へ、
そして初めてのJリーグへ挑戦します。
相当な覚悟があったことでしょう。
また、同時期にブラジル人3選手が加入しています。
さらに過酷なことに
FC琉球が借りた寮で、共同生活を送っていたとのことです。
・精神的なストレス
・異国の地での不安
相当なストレスも同時に感じていたと考察できます。
サポート体制に問題があった
当時のFC琉球は、ブラジル人選手への
サポート体制が整っていなかったと推測できます。
特に、彼が結果を残せなかった要因の一つに
生活環境と食生活の問題があります。
生活環境に関しては、
・ブラジル人3人共同生活
・車を運転できず移動範囲が限られる
・ケア環境が整っていない
このような状況下で
・精神面の安定
・体のメンテナンス
・私生活の充実
ができない環境だったはずです。
特に致命的だったことが食生活です。
- 食生活は自己管理
- マクドナルド等のファストフードに頼る
- 体脂肪が落ちず、キレが戻らない
といったアスリートに致命的なサポート体制でした。
特に沖縄で車を運転できないことは
生活の質が上がらなかったことでしょう。
車を運転できない異国の地で
かつ食生活が管理されてなかった。
これは21歳の選手にとっては相当過酷だったと推測できます。
結果として
徒歩圏内のファストフード店に頼る生活に。
そのような環境下では
どれだけ優れたレオ・セアラ選手でも
本来の力の50〜60%ほどしか発揮できていなかった
と推測できます。
今、食生活を気にしていない選手ほど
見直すことで能力を最大限発揮できます。
レオセアラ選手の現在のパフォーマンスは、妻の手料理あってだと考察できます。
食生活は、アスリートにとって
見直すことで、能力を最大化できます。
現在、プレーに行き詰まっている選手ほど食生活を見直す価値があります。
トレーナー・フィジカルコーチ不足
2016年当時のFC琉球は、
フィジカルコーチも不在 という状態です。
トレーナーに関しても、
・クラブハウスがない
・トレーナーは1〜2名
・車が運転できないため
個別で受けれない
上記状況下では、満足にケアを受けれないため
プロサッカー選手が本来受けるべき
- 筋力強化
- リカバリー
- 栄養管理
これらが提供されない中でプレーしていました。
練習すればするほどコンディションが落ちる
という悪循環に陥っていたと推測できます。
翌2017年、琉球は強化方針を大きく転換し
初めてフィジカルコーチを専任で招聘。
翌2018年はJ3優勝・J2昇格という歴史的躍進に繋げています。
つまり、レオ・セアラ選手がいた時期は
クラブが大改革を始める直前の準備不足の時代
だったこともあり、
彼にとっても苦しい日々だったのではないでしょうか。
レオ・セアラでも環境で苦しむ
ここから得られる教訓は
レオ・セアラ選手でも
・チーム環境
・自身のメンタル成熟度
が整ってないと結果を出すのは難しいと言うことです。
少し脱線しますが、
今肉体改造をしたいと思っている方は、
環境から整えてみるのはいかがでしょうか。
定額通い放題のパーソナルジム グッドライフジムその後の活躍は皆さんが知る通り、
- J1で5年連続二桁得点
- マリノス・セレッソで大活躍
- そして鹿島アントラーズを優勝へ
こんな記録を残す選手が、
当時から能力がなかったはずがありません。
実際、後年レオ・セアラ選手はインタビューで
沖縄で苦しんだ時代が、今の自分を作ってくれた
と語っています。
まとめ
今回はレオ・セアラ選手の
FC琉球時代について考察してみました。
まとめると
・生活環境のサポート体制
・環境の問題
が彼の本来の実力を発揮できなかった要因です。
当時はまた、21歳と若く
自分を律するだけのメンタリティが成熟してなかったこともあるでしょう。
しかし、そこで得た経験が
レオ・セアラ選手の人生のターニングポイントになったとのことです。
沖縄という地で苦しみ、
沖縄の人々の温かさに支えられ、
再びJ1で頂点を争うストライカーへと進化した。
その始まりが 「FC琉球」だった という事実は、
沖縄のサッカーファンにとっても、
日本サッカーの物語としても
非常に面白みを感じるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。



コメント